spicegarden

今年は月イチ更新がんばります!

PTAコーラス部とミュージカル美女と野獣!

3月10日,チビちゃんの小学校PTAコーラス部40周年記念コンサートに出演してきました。


↑1部と3部の曲目はこの1年私が暗譜した歌ぜんぶ。

美女と野獣では,私の役はポット夫人。

「すみれの花」は宝塚をイメージしたステージ。


2週間経って,ようやく…終わった感になってきました。
小学校のPTAコーラス部に入って約1年。
ゆるいものを想像していたら,数年前,合唱連盟の全国大会に出たとか,審査員賞とか,かなりガチのコーラス部でした。
特筆すべきはご指導の先生が,高い理想に熱い情熱でこの10年ほどひっぱっておられるそうで,弱小野球部を数年で全国大会へ!みたいな雰囲気がぷんぷん。
でも厳しいだけじゃない素敵な先生で,一度練習に参加しただけで入部を決めてしまった。


うた,なんてかなり昔に第九を何度か歌ったことがあるくらい。
ちゃんとした発声もならったことはないし,ここ2,3年ソルフェージュをやってわかった,
拍がとれない,シンコペーションむつかしい,2拍三連できません…の私。
だけども,耳はわりとよくて,音をとったりマネたり,暗譜もまぁまぁ。
そんな状態で,経歴平均10年の方々についていきました。
ボイストレーニングも秋からやりました。
ノドを使わないで声をだす,ビブラートはかけない,単音を頭部を振動させることで響かせる。
息を口から吐くのではなく,吸い込んで頭頂へ持ち上げるイメージ。
民謡やってるひとが,ろうそくの炎を揺らさないように歌うのに近いのかな?
正しい発声は毎日トレーニングしても習得するのに数年かかる,ところを5ヶ月で…。
無理は承知の試行錯誤。


毎週金曜午前中がコーラス部の練習でしたが,本番1ヶ月前くらいから,時間ものびて水曜も追加,それに加えてプログラムやチケット製作が月曜にはいり2月は佳境でした。

↑絵柄もいろいろ変わったし,先生方への色紙作製も趣味を活かしました♪

純粋に歌の練習は12月まで。
主催でやるコーラスだけのコンサートは面白くないとミュージカルをやることは入部以前から決まっており,
大変すぎるからと夏に辞めたひともいた。
ミュージカル,私はなぜか子供の頃1年だけミュージカルスクール(習い事として)に通っていたことがあり,あまり抵抗はなく,どうせやるならやってみよう!と思っていた。


ミュージカルを面白くするのは演出。
コーラス指導の先生だけでは足りないそうなので,演出家の先生を連れてきた。
清原浩斗先生という,その世界では著名なひとらしく,
脚本もどんどん書き換え歌の合間にチョットせりふを挟む予定が,どんどん真剣なお芝居になってしまった。
40周年のコーラス部には35年続けているひともいて,かなり年齢層幅広い。
それぞれからだをいたわりながら,初めてのミュージカルに挑むのは並大抵ではない。
ミュージカル,歌とお芝居とダンス!
タイミングをあわせたり,次々変わる振り付けを覚えてもまたすぐ変わる。
それでもひたむきに取り組む姿には感銘をうけました。

なにより,頑張りたいとおもったのは,コーラス部をひっぱってこられた指導の先生が,これを機に引退されること。
昨夏このことが分かり,この舞台でコーラス部解散……それはなくとも部員が半減することに。


あー,全部は書ききれない。
とにかくここ数ヶ月,なにかに邁進できたことに感謝。
当日病気もせず参加できたこと,打ち上げまで大盛り上がりで
コーラス部の一員として認められたこと,そして,これからも続けられそうなこと,に感謝したい。
半減してもコーラス部は続きます。二部できれいなハーモニーをつくること。
コーラス初心者はそのくらいから始めたい。
ハーモニーは二人いれば作れるのです。
2つの違う音を同時に鳴らすと美しい。
それはピアノも同じで,楽譜の中にどこにハーモニーが隠れているか,これは日々発見です。


最後に,指導の先生から部員へ頂いたお言葉を載せます。

《私が仕事と子育てをしながら、合唱で体験した中での楽しかった2大イベント。
『お母さん全国大会&ミュージカル』
それを皆さんにも味わって欲しい
親が子にいろんな感動体験をして欲しいと願うのと少し似たような、
ただただその思いでの十数年、3月10日を迎えました。

清原マジックに身を包んだステージでの高揚感、妥協しない厳しさと集中する面白さ。
皆さんの最後まで諦めない頑張りで体験していただく事が出来、とても嬉しいです。
先生にとりましては初心者向けの軽い内容でしたが、我々には目一杯でしたね。


PTAという名に甘える事なく1ミリでも進歩、Never give up の精神で少しでもと
質の良さを目指してきたため、不本意な出来事も多々あったと思います。
皆さんに無理強いしていないか?学校やPTAや地域の迷惑にならないか?
常に常に悩みながらの日々でした。


高い山ほど頂上は遠く、険しく辛い道のり。
でも登頂した時の喜びや達成感、その感動は登りきった者にしか味わえません。

そしてその大きな感動は、何年たっても色あせる事なく、心いっぱいに蘇ってくれるのです。》